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支倉常長、縁の地 [歴史]

 今まで縁があると知っていても、訪れたことは無かった、あるNPOから
今度支倉常長の縁の地を訪ねてみるから聞いて参加してきました。
面白いことに常長の墓は4カ所にあると云われている、その一つが今度訪ねた
宮城県刈田郡川崎町の支倉地区です。
他の墓は別記するとして、7歳から青年期まではここ支倉地区でで暮らしておりました。

 簡単に述べると1571年支倉常長は出羽国置賜群立石村(現在の山形県米沢市立石)で
米沢伊達家・中級家臣の支倉常成の子としてに生まれました。
常長が生まれたのは伊達政宗が5歳の時です。その後父親の兄、叔父支倉紀伊の守時政に
子供がいないため7歳の時養子になっています。
その後時政が支倉村に領地替えとなり、現在の川崎町支倉地区の「上楯城」に移ります。

圓長山圓福寺・・・先ずはお寺などを
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本堂右側にあった飾り物、孔雀だと思いますが樹木の根を利用して作られたと思われます。
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1611年慶長三陸大地震発生、大津波大発生、の2年後宣教師ソテロと共に仙台城に呼び出される。
遣欧使節を命ぜられ、10月28日、男鹿群月浦(現石巻市)からサン・ファン・バウティスタ号で出帆。(詳しいことは歴史本などを)

何時もなら閉まっている本堂内でマリア観音像などを見せて頂きました。
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円福寺の脇仏として仏像に模して祀られている事から隠れキリシタンの証拠とされています。









 慶長遣欧使節の目的は宣教師の派遣依頼とメキシコ(スペイン領)との
通商許可を得ることでした。スペイン国王フェリペ三世と謁見をは果しましたが
許可が得られないまま8ヶ月間マドリードで過ごし、その間に常長は洗礼を受けて
国王の信頼を得ようとします。

 さらに常長はイタリアまで向かいローマでパウロ五世と遇うがその願いが達成され
ずに7年ぶりに仙台に帰って来ます。運悪く幕府はキリシタン禁止令を出していたので
従わざるを得ず伊達政宗は、常長に謹慎を申し渡し持ち帰った品々を没収されました。
 その翌年常長は川崎町支倉に戻っておりましたが51歳で病死したとも伝えられています。
その川崎町支倉の円福寺と仙台市光明寺の碑には51歳没と刻まれているそうですが
また大郷町の碑には84歳没と刻まれ、他に現岩手県奥州市水沢区の領内に埋葬された
という説もあります。この4カ所の墓、ほんとは何処なのか謎のようです。


 その後250年間忘れされましたが、明治維新を経て岩倉具視の使節がベネチアで資料を
見せられようやくその業績に光が当てられました。

最後に川崎町支倉の円福寺内にある墓の写真で締めくくらせて頂きます。

イカリ印の墓等々
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支倉常長自画像・・・ヨーロッパから持ち帰った自画像、実在の日本人を油絵で書いた
          最古の作品と言われています。 (国宝・仙台博物館蔵 )
img047-2hasekuratunenaga.jpg 
パンフレットから引用 









支倉常長年譜
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パンフレットから引用
上記文章はパンフレット(常長と川崎町)からも引用させて頂きました。
模写した以外はスマホ画像です。





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コメント 12

Jetstream

支倉常長、当時は異端の宗教で受難の時でしたね。当時ヨーロッパへはインド洋経由だとおもってましたが、何と太平洋からメキシコへ渡って、更に大西洋を渡った1年がかりの大航海だったんですね。波乱の人生で会ったことを察します。
by Jetstream (2018-06-29 10:58) 

やおかずみ

歴史好きですので、支倉常長について興味があります。帰国後、運悪くキリスト禁止令のため、活躍が出来なかったのですが、それがなかったら、注目の浴びた人物になったのでしょうね。
by やおかずみ (2018-06-29 11:49) 

いろは

こんにちは^^
拝見した時、違う方のブログにお伺いしたかと思いました(^^;
樹木で作られた孔雀が見事ですね♪
マリア観音像も初めて拝見します。
支倉常長のことは何となく知っておりますが、こうして身近に感じることはありませんでした。お墓をお参りさせて頂くと感慨深いものがおありでしたでしょうね。
by いろは (2018-06-29 11:58) 

achami

樹木の根を利用して作られたクジャク、ものすごい大木だったのか!
作者の記述などは残っているのでしょうか。
by achami (2018-06-29 14:05) 

風の又三郎

以前NHK?で見た記憶がありますが、支倉常長は悲運の人というイメージです。 にしても、伊達政宗と言う人の先見性など考えると、時代に遅れて生まれてしまった天下人という感じがします。(生まれるのあともう少し早ければ天下をとったのでは?という説もありますね)
by 風の又三郎 (2018-06-30 13:01) 

nikkin

支倉常長が航海した船の複製を見た覚えがあります。石巻市近辺だったと記憶しています。
クジャク像が見事ですね。こんなに密に根を張り巡らす木の名前を知りたいものです。
by nikkin (2018-06-30 14:19) 

g_g

Jetstreamさん
常長は、きっと運の亡い方だったもかも知れません
仕事きちんとやった方だと感じました。

やおかずみさん
51歳で亡くなったというのも幕府から何らかの私事が有り
一様死んだことにしたという説もあるようですがこれも不明です。

いろはさん
そういえば歴史のことを投稿したのは初めてコモ知れません。
マリア観音も修復したいんですが何億以上の費用がかかるので
貧乏寺では難しいと和尚が語っておりました。
by g_g (2018-06-30 16:24) 

g_g

achamiさん
孔雀の彫刻の作られた人は何も書かれていませんでした。
私もこのお寺に行って最初にこの作品に見惚れてしまいました。

風の又三郎さん
確かに常長は品が重なっていたように感じました。
時代が違えばもっと素晴らしい関市に残っていた人だと
私もす思えてなりませんでした。

nikkinさん
複製されたサンファン号は確かに石巻の港で見られますよ
孔雀の作り物誰が作ったのか記述がありませんでした。

by g_g (2018-06-30 16:33) 

engrid

隠れキリシタンのマリア様、、深い信仰心をうかがい知ることができます
油絵の自画像、意志の強い頑固な風貌ですね
時代に翻弄されながらも、自分を貫いた方と思います

by engrid (2018-06-30 17:24) 

g_g

engridさん
仕事(貿易)を全うしようとキリスト教になってでも素晴らしい橋渡しをしたと思います。ただ時代が時代だけに運も悪く悲運の最期のような気がします。
by g_g (2018-06-30 17:51) 

tochimochi

立派な孔雀の彫り物ですね。
判明で渡欧し、帰ってみれば禁止令で謹慎して病死。
悲しい運命だったのですね。
でも異国の地では布教のために活躍をしたのだと思います。

by tochimochi (2018-06-30 21:06) 

g_g

tochimochiさん
それにしても人間には特に特異な運命があるのでしょうか
貿易が元で行った先で交渉して上手くいかなかったとはいえ
功績はあったように感じますが、幕府の命令に寄る謹慎も
時代がなしていたのでしょうね


by g_g (2018-07-01 07:17) 

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